民泊メール代行をどこよりも安く、速く、熱く!

ZAP はカンボジアを拠点に、民泊メール代行をしています。日本語、英語、中国語、韓国語、タイ語、ベトナム語、クメール語の7ヶ国語に対応し、業界最安値でサービスを提供します‼

はじめまして。インターンシップの花堂柚紀です。

はじめまして!

今週からYouArtAcademyとZAPで半年間インターンシップを始めました花堂柚紀(はなどうゆずき)と申します!!

 

主に、

・YouArtAcademyを軌道に乗せるお手伝い

・村にコールセンターと学校を建てるお手伝い

・留学プログラムの企画・実施のお手伝い

スタディーツアープログラムの企画・実施のお手伝い

をさせてもらう予定です!!

 

ところで、

少しだけ自己紹介をさせていただきます。

 

1997年にジャカルタで生まれ、東京で育ちました。家庭にも環境にも恵まれ、色々な経験や出会いにも恵まれました。現在は中央大学文学部教育学科に在籍しています。

 

私の22年間の人生には大きく分けて2つのターニングポイントと3人の人物との出会いがありました。

 

今日はそのうちの1つのターニングポイントとなった留学経験について話したいと思います。

 

f:id:zeal-aspiration-partner:20190327224743j:plain

高校留学は全国的に見れば最近は多くなってきていますが、私の通っていた学校ではかなり珍しいものでした。

 

それでも私が留学を決心したのは、中学生のころからずっと描いていた、「教育」に携わる仕事をしたいという夢にありました。

 

中高生の私は日本の教育に不満を持っていたと同時に、日本がいつも手本にしようとしている欧米の「学校教育」とは日本のそれと何が違って、何がそんなにいいのだろう、と考えていました。

 

そんな思いがきっかけで、自分が「学校教育」を受けられる間に留学をしたいと思いました。

大学で専門分野として勉強する前に、自分自身の目で見て、身体で体験することは将来の自分にとって大きな糧になるのではないかと考え、日本と欧米の教育の類似点・相違点を見つけ出し、それを自分の今後の学びや夢に生かしたいと思いました。

 

 だから、世界一の教育大国であるフィンランドに留学をしてみたかった。

でもフィンランドに留学したいという夢は叶いませんでした。

 

なので、日本が常に手本とするアメリを選びました。

 

1年間、ホームステイをしながら現地の高校に通いました。

 

学校生活はつらいことのほうが多かったし、ホストファミリーとの暮らしも、誰かの家に置いてもらうというのは想像以上に気を遣い、精神的にきついことが多かったです。

 

でも私は、すべての人に、もしチャンスを得られるのであれば留学することを絶対に勧めます!!

 

なぜなら、それらの経験は今の私にとっては大きな財産だからです。

 

気ばかりを遣う日々、つらさ、きつさ、不安、不満、恐れ、そんなことばかりでした。

でも逃げられない、闘わなければならない、受け入れていかなければならない、向き合っていかなければならない、、、。

でもその経験、時間こそが留学が自分に与えてくれた財産であり、留学の醍醐味だと今は思っています。

そして、その中で得た友達はかけがえのない存在です。思い出すだけで胸が締め付けられるほど彼らへの感謝は止みません。

 

そしてその経験を高校生でできたことは自分の人生にとってこれまでもこれからもプラスに働き続けるし、時間が経てば経つほど、留学での実体験は私の生活や夢、目標の中で役に立ち続け、影響を与え続けてくれます。

 

これこそがターニングポイントだったと思います。留学によって性格、考え方、視野、夢すべてが変わり、人に感謝すること、尊重すること、気を使うこと、寄り添うこと、すべてを学びました。

 

そしてまた、アメリカという国を知りました。差別偏見貧困薬物、、、日本で生活しているだけではきっと気づけなかったであろう多くの社会問題を間近で見て、知り、生々しさや残酷さを知りました。

私が人権問題や教育問題に興味を抱くようになったきっかけはここにあります。そして今私は教育学科で人権教育について主に研究をしています。

 

さらには、留学が私に歴史認識歴史教育の重要さを教えてくれました。

 

大事なことは何も教えてくれない日本の歴史の授業。

 

当時私は、現地の高校1年生の男の子に「日本では太平洋戦争についてどのように教えられているの?」という質問に何も答えることができませんでした。

 

なぜなら、日本がいつ戦争を始めたかすら知らなかったし、日本がどの国を植民地化していたかもよく知りませんでした。

唯一知っていたのは原爆が落とされた日と終戦日だけ。

 

本当に恥ずかしかったです

 

戦争を始めた国でもあるのに、その戦争について何も知らないなど無責任にもほどがあると思いました。

 

日本はそんな若者を生み出し続けるのかと考えると、どうにかしなければならないと感じました。

 

それがきっかけで日本の歴史、特に戦争史に興味を持つようになり、帰国後は受験勉強で日本史に没頭しました。

 

もっと自分が戦争史について知らなければならないと思い、中央大学史学科に進むことに決めました。

 

いろいろあって専攻は変えてしまったけれど、回り道をしたことを後悔はしていません。歴史教育の重要性、問題に気付かせてくれた留学経験に心から感謝しています。それが私の今の目標を形成している大きな1ピースになっています。

 

日本が正しい歴史教育をし、正しい歴史認識を子どもたちに持たせるべきだという思いは今も変わらず持ち続けています。引いてはそれが人権問題(特に外国人への差別問題)の解決にもつながり、社会変革にもつながると思っています。

 

だから、正しい歴史教育から正しい人権教育へと結びつけ、偏見と差別に満ちた社会を変革していってくれる若者を育てることが私の一つの目標です。

 

と、ながながと話してしまいました。読んでくださった方、どうもありがとうございます!!