どうも。
冒険家山川です。
私の大好きな世界冒険の他に、
『仕事とはなんたるか。人生とはなんぞや。という事を偉そうに書き、偉い人たちに怒られて初心を取り戻そう』というコーナーをパートナーに相談もなしに勝手に新設しました。
実は私、ここカンボジア、プノンペンに来て早4年が経過、26歳で海を渡り、すでに5年目に突入という中堅在住者である。
そこで当初から、よくこんな質問を受ける
『なんでカンボジアに来たんですか??』
『どうしてカンボジアなんですか??』
海外移住の経験のある方なら、耳がタコだらけで通院まである。というような危機的な状況にまで耳と脳が追い込まれるこのフレーズ。
実は私も素敵だなーこの人。と思った初対面の方に聞いてしまう事も多いんです。
だって人の夢とか聞くの面白くないっすか?
しょうがないじゃん。
私の場合は
ずばり
『世界を見てみたかったから』
たったこれだけの理由です。
かっこいい大義名分があったわけでもなく、『人より違う人生を送りたいッ』
みたいな意識高い系男子であったわけでもない。
ただ世界を見てみたい。
こんだけ。
ん?
なんで見てみたいかって?
そりゃーあれです
ほら
NHKの世界遺産特集とか、『◯◯が〜、、、◯◯に〜・・・出会った〜』の番組とか、世界の果てまでイって◯とか面白いじゃないですか?
あれ俺もやりたい!見たい!みたいな子供のワガママです。
なのであんまり聞かないでください
『なんでカンボジアに?』みたいなやつ。
毎回かっこよくピカピカに磨いてお伝えするの大変。笑
でも後悔とか飽きるとかは全くありません。
むしろ自分の人生って、これ以上ないくらいラッキーで最高だぜッ!って今でも思っています。
今日は移住を決断したキッカケの話。
これを読んだ人が何かを決断するキッカケになって、1mmでも人生が変わり、僕のブログが有名になって、広告収入がいっぱい入って、本の執筆依頼や世界中での公演依頼、テレビ出演などが僕に来れば幸いです。
TEDさんお待ちしてます。(本気の本気)
では話を4年前の2013年の7月に戻しましょう。
当時は旭川のもつ鍋『白梟』で店長として勤務していました。
素敵な仲間たちに恵まれ、僕がお客様の電話対応しているときに変顔で突入して笑わせてきたり(もちろん通話中にぶふっと吹き出す筆者)、小上がりで接客してたらバイトの子にサンダル隠されたりと幸せな日々を過ごしていました。
※いじめではありません。。。多分、、、
するとある日、一人の常連さんがご来店。
いつものモツ鍋をお持ちしたそのときである!!
私の人生を変える瞬間がやってきた。
『カンボジアで飲食店やらない?』
ん?
今なんと?
それ僕に言ってるんですか?
今日4月1日?
頭の中が複雑骨折したみたいに錯綜する筆者。
ポケモンで言えばサトシは目の前が真っ暗になった。だ。
が、これはチャンス!!
またとないチャンス!
実は22歳のときに働いていた会社でシンガポール出店の話があり、真っ先に駐在の手を挙げたが、出店取りやめで行けなかった経験がある筆者。
『はい。僕行きます!』
『お金とかじゃないです』
言っちまったー
この間実に2秒。
勢いで言っちゃったーー
・・・
業務に戻り冷静になる。
『今俺はこのお店の店長だ。拾ってくれて大恩ある社長に恩返しがしたい。ここはあきらめよう。このお店で海外進出すればいいんだ。』
こう思い、一度はその常連さんにお断りしたのだが、次の日に社長に呼ばれる。
社長『おまえ常連Aさんに誘われたしょ?』
筆者『・・はい。誘われましたが断りました。僕はここを守ります。』
社長『いや、いい』
筆者『え?』
社長『行け。おまえの夢は知ってる。この店は俺がなんとでもする』
ほれてまうやろーーーー
ね?ね?私のとこの(元)社長かっこいいでしょう?
惚れてまうでしょ?
しかもかなりのイケメンです。歳は10コほど違いますが、外見は僕と年齢の違いがわかりませんこの人。
こんな展開になると思わなかった筆者、答えに詰まる。
このやりとりの衝撃が強すぎてあまりその後の記憶がありませんが、こうして移住を決断できたわけです。
背中を押されたような形ですね。
こうして僕は人生の大きな岐路を迎えました。
今考えればとても劇的でドラマチックな展開ですね。
最近よく聞く自己啓発や『やりたいことをやって生きよう』みたいな生き方や本。
僕の場合は、そういった影響ではなく自然に、判断ではなく決断できる人だったので、問題ありませんでしたが普通の人はなかなかできないんだと思います。
バカほど行動がパワフル。の典型的な例です。
『 やりたいことをやって生きよう』って聞いてわかる通りすごく大変で、やれる人ってほんの一部。
そして、やりたいことやって生きないと不幸ってわけじゃないのにね。
次回はカンボジア移住時のお話。
判断と決断についてのお話続編です。