この記事は、ガンジー社長・たつひこがお送りします。
例えが悪いし違うかもしれないけど、物乞いに貧乏なカンボジア人が1,000リエルあげて いい気持ちになってるのはどうなんだろう、、逆に金が腐るほどある奴らは100リエルも物乞いにあげず、日本から金をもらうことに恥がないのはなんでだろう、、いつも考えています。
衝撃が走った、この言葉に。
ハットさせられた。。
以前、カンボジアの田舎の現地の救急隊員に救急搬送の仕方、応急手当の仕方、外傷の対応など基本的な救急技術を伝えるボランティアを国際NGO Side by Side International の佐々木さんと(https://www.facebook.com/SBSI.NGO/) 日本の救命士の方々、国士舘大学のボランティア学生、とともに行く機会があった。
行く理由は、
・僕が消防人時代に学んだことが少しでも役に立つのならという純粋な気持ちと、
・大学生の何人かが英語留学やインターン興味を持っているのではないか、カンボジア留学のフィードバックにつながるのではないか
・奥本達彦 という僕自身の個人のブランド力を磨きにかけるために何をすべきか、、、と考えたときに参加しかないという思いと、、
色々な思いから来て参加を表明することになった。
そして、ボランティアとはいえ、お志をいただけるという素晴らしい環境だ。(お金をもらうのであればボランティアとは言えないかもしれませんが、、)
ただ、これをもと職場の上司に伝えたときに、言われたこの一言。何も言い返せなかった。
これは僕が事業を始めたばかりでまだ利益も出ていないのにボランティアにいくというこの状況はまさに、
物乞いに貧乏なカンボジア人が1,000リエルあげて いい気持ちになってる。
これと一緒なわけだ。
カンボジアで、貧しい現地人が貧しい人を助けている姿をいっぱい見てきて、僕自身ががそれだったことに気づかされたわけだ。
いや、ただ今回はそんなことは、これに関しては、どうでもいい。
僕はボランティアは、自分の生活が潤っている人のみがするものではないと信じてる。
多くのボランティア事業に携わり運営してきたものにとって、ボランティアが心の豊かさにつながること、またビジネス展開や人とのつながりなど多くのきっかけになることを、そして忙しくて大変な今だからこそいけば多くのものを吸収できることを、身をもって知っているからだ。
僕が今回、何に反応しているか、それは
逆に金が腐るほどある奴らは100リエルも物乞いにあげず、日本から金をもらうことに恥がないのはなんでだろう。
こっちだ。
カンボジアでお金があるという人は、本当に腐るほどある。高級車を乗り回している。
ただ貧しい人たちを助けたいという気持ちより、もっと金持ちになってやろうという気持ちのほうが、先走っているのが手に取るように見える。
そんな人たちをイメージしていると、自分のやっていることが、コツコツと積み上げてきているものが、なんとも言えない悲しみ陥ってしまった。
圧倒的な金の前に自分がやってるちっぽけさに、やるせなくなってしまう。
何やってんだおれ。
それでも僕は、自分が信じた道を行きたい。
いや、行かねばならない。でも、この言葉はなかなか僕の耳から消えてくれない。
物乞いに貧乏なカンボジア人が1,000リエルあげて いい気持ちになってるのはどうなんだろう、、逆に金が腐るほどある奴らは100リエルも物乞いにあげず、日本から金をもらうことに恥がないのはなんでだろう、、いつも考えています。