「豊かである」ということは、単に経済的に豊かであるだけでなく、むしろそこから遠く離れ「役に立つかどうか」という画一的なものさしで測れないことができるということなんだろうなあ。
— ヴェーハー・K・タツヤ🇰🇭 (@TEx6527) December 23, 2019
小説を読むとか、絵を描くとか、ジムで体を鍛えるとか。
自分や周りの環境が切羽詰まってたら、役に立つかどうかわからないこと(そして多分役に立たないこと)って選択しなくなってしまう。
— ヴェーハー・K・タツヤ🇰🇭 (@TEx6527) December 23, 2019
だけど、日本国憲法にもある「文化的な生活」というのは、こういう選択ができる状態のことなんだと思う。
カンボジアが次に求めるべき豊かさってきっとこういう豊かさ。
— ヴェーハー・K・タツヤ🇰🇭 (@TEx6527) December 23, 2019
この豊かさは今の日本も足りていないよね。
なぜなら、その土地にある文化を享受するためには教養と余裕が必要だから。
仕事で消耗するだけの毎日を送っていたら教養を学ぶ余裕なんてできっこないもんね。
よく学校で習った歴史とか古文とか結局実生活に役に立たないみたいな言説を耳にするけれど、こういうのって役に立つかどうかで議論すべきことじゃない。
— ヴェーハー・K・タツヤ🇰🇭 (@TEx6527) December 23, 2019
なくても全然日常生活は送れるけれど、あれば文化を享受できる。
これもまた国際協力でも同じだね!
— ヴェーハー・K・タツヤ🇰🇭 (@TEx6527) December 23, 2019
たまに衛生支援や教育支援などと比べて「カンボジアでサッカー大会を開く」とか「移動映画館をつくる」みたいなことは緊急性が低いから重要じゃないみたいに思ってる人もいるけれど(学生の頃のぼく)、後者も豊かになるのに非常に重要なんだ。
カンボジアも最近は消費活動以外にお金を使うことができる層が現れ、ジムみたいな場所もかなり増えた。
あとは美術館とか図書館とかもっとできるといいなあ。